2025.12.01

たとえ話の流儀

少し前に、「野球たとえ」はもう古い、伝わらないという話を聞きました。 
その主旨は、野球のルール・用語が、ビジネス現場の(主に)男性にとって「常識」であった時代とのジェネレーションギャップについて述べたものでした。 

しかし、今回は「たとえ話」の本質を考えたいと思います。 
具体的な例を挙げます。 

今回の提案はヒットじゃなくホームランを狙いに行こう 

これを素直に表現するなら、「難易度が高くなっても、リターンの大きい提案にしよう」という感じでしょうか。別段、語彙力が必要な一文ではありません。 

それにも関わらず、わざわざたとえ話にするとどんなことが起こるのか、考えてみました。 
①同じ符丁が通じることで連帯感が得られる 
②受け取る側が解釈“し直す”余地が生まれる 
③たとえ話の背景に隠された“ニュアンス”を言外に表現できる 

①は単純です。“符丁”が通じる人とは知識やバックグラウンドを共有しているので、話しやすくなります。また、「うまく例えられた」ときの達成感や、聞き手から得られる感心も、このメリットに含まれるでしょう。 

②③は、上記の例でいえば、「難易度が高くなる」「リターンの大きい」それぞれに解釈の余地が生まれることです。もし、現に私が上司からその台詞を言われたなら、『自分の強みを活かした提案をしてみろ、その結果として失注してしまったらしょうがない』と解釈します。しかし、『自分の強み~』という部分は、完全に私の独断。 
言葉は思ったほど正しくは伝わらない」で取り扱う、受け手側のイメージによって、十人十色の解釈ができます。 

つまり、「たとえ話」とは、伝える側は詳細を省き、大まかなニュアンスを伝えるだけで、実態は受け手側の解釈に『丸投げ』しているといってよい伝達法です。 
「すれ違い」と紙一重のわりに、伝える側は一種の達成感まで得ているわけですからタチが悪いですね。 

ここまでの分析を踏まえると、正直「たとえ話」はメリットよりもデメリットやリスクの方が大きいのでは?と思えます。有効に活用できる場面はないのでしょうか。 

そこで思いついたのが、「客観視のためのたとえ話」です。 
話に出てくる5W1Hといった要素の位置関係をなるべく保持したまま、他の条件に置き換えることで、先入観や主義主張をリセットし、フラットな評価ができるのではないか、と考えたわけです。 

教育という性質上、政治トピックは扱いにくいのですが、今回は「先入観や主義主張をリセット」する思考実験のため、少し踏み込んだケースを用意しました。 

■テーマ:刑法を改正し、日本国旗を損壊した場合も処罰の対象にする 
■推進する理由:他国の国旗と扱いを平等にするため 

活発に議論されている、いわゆる国旗損壊罪がテーマです。2025年12月現在、来年の国会で刑法改正の審議が予定されています。 

・たとえ話(1):他人が私の家の表札を燃やせば器物破損だが、私が自分の家の表札を燃やしても罪にはあたらない。 

・たとえ話(2):議員が街頭演説で、×を付けた自党のシンボルを掲げて幹部の批判演説をすれば、厳重注意くらいは受けるだろう。 

ちなみに、たとえ話(1)は、反対派の議員さんがSNSで発信していたもの 1 です。
批判や意見が飛び交っていましたが、こうして要素だけを比べる 2 と、位置関係は類似しており「たとえ話」としてきちんと成立しています。 

一方で、たとえ話(2)はどうでしょうか。
これは私が、反対派の方にも、推進派の意見に理解を示しやすい例として考えたつもりです。 

こうやって、要素を整理した上で、フラットな目線に立ってみてどうでしたか? 
自分の考えと異なる立場で語られた「たとえ話」で、少しでも納得や理解が得られれば幸いです。 

ナスピアでは「まなブリッジ!」をはじめ、議論の場では多角的な考えを持つことを推奨しています。 
もし、少しでも「相手の意見が理解できた」と思えた方がいらっしゃれば、「たとえ話」の真価が発揮できたのかな、と思います。 

  1. 理解しやすいよう、人称・呼称について元の表現から編集しています。 ↩︎
  2. 今回のコラムでは本政策の「一種のヘイト対策」という側面を意図的に排除して考えています。あくまで推進理由は「扱いの平等」とされていたので、その側面は結果として得られる副産物、という考えです。  ↩︎

Written by Y.Nakai


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