2024.03.01

自分の技術のルーツを振り返ってみた

今回は、念願の場所に行ってきました。「天満天神繁昌亭」、いわゆる落語の聖地です。 

少し、思い出話をさせてください。私の大学生時代、教育実習まで遡ります。 
私の授業は、45分間ひたすら早口でした。多数の目にさらされる気恥ずかしさと、指導案を遵守することに必死だったのです。 

そんな私に、担当の指導教員が、「間」の重要性を説いてくれました。その時、例に挙がったのが落語です。家に帰って動画で視聴してみて、得るものが多かったことを覚えています。 

まずは、落ち着いた態度で臨むこと。話し手が浮ついていると、聞いてる側は不安ですし、ツッコミを入れたくなります。その対応でアドリブが入って、さらに慌てる…こんな悪循環を防げます。 

そして、「音声だけで理解する」ことが想像以上に難しいことです。名人の落語ですら、しぐさを見ず、聞くだけだと頭に入ってこないことがありました。 

授業に応用するなら「板書とともに話す」ことの重要性です。「今この話をしている」という視覚情報と先入観が、理解を助けてくれます。 
そして、逆に言えば、聞いている側も理解のための時間が欲しい、ということです。 
それが「間」。話の間に空白が生まれることは、悪いことではないのです。 

この体験が私の話術に大きく影響しており、その原点を振り返る…という名目で、ずっと行きたかった「生の落語」を鑑賞してきました。 

天満天神繫昌亭:舞台幕

やはりプロは凄かった。 

今回私が行ったのは「朝席」で、比較的若手の方が中心の回でした。 

落語にはマクラという導入があり、世間話やこれからする本題についての説明などをします。これは毎回変わるものなので、ほとんどがアドリブだと思います。 
そのためか、プロの噺家さん方でも「えー」などの言い淀み(フィラー)が入ったりしていました。 

しかし、本題に入ると雰囲気は一変、「役」に入り込みます。一人で複数役を演じた上で、聞き手に違和感を覚えさせないのですから、すごい技術です。 
言い淀みなんてどこにもありません。さらに言えば、間のコントロールも完璧で、「笑いどころ」で客席から笑いが起こっても、それに声がほとんど被りません。 

落語と授業、そしてプレゼンはよく似ていると思います。伝えたい内容がはっきりしていて、一対多、話の主導権は自分にあり、話す機会です。 

今回の体験は、私のルーツを振り返るだけでなく、理想をより高く・具体的にする「学び」になり、私の一番の強みである国語力を、ビジネス・日常を問わず「話す」場で活かすイメージを持てました。 

なお、弊社の「まなブリッジ!デジタルワークシート」の小学校総合学習「文章創作」では、落語の「三題噺」を取り入れた作文や、読書感想文トレーニングをご提案しており、そちらでも是非、今回の体験を役立てたいと思っています。 

Written by Y.Nakai


タブレット・PCで自宅で手軽に学習できる
小~高各5教科対応オンラインドリルはコチラ